流産の過去

BABY

こんにちは、たかこです♪

だいぶ重い題名ですが、人生は幸せばかりではないのです。頑張って書いていこうと思います✧*。

では本日もよろしくお願いします♡

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はじめての妊娠は突然

付き合って数ヶ月

夫「結婚したいなー結婚したいなー」

私「東京男子なのに珍しいな?なんでそんなはよ結婚したいんや?」

夫「ワシ子供好きでな。小さい頃から若いパパになるの夢や」

私「ほー。良い夢やな。ワイはまだ子供いらんわ。もっと遊びたいわ」

付き合って11ヶ月目。初めての誕生日

夫「結婚しよう」

私「ええで」

夫「入籍したら妊活しよか。ワシ早く子供欲しいねん」

私「結婚式」

夫「ほな結婚式は最短で頼むで。来年の9月までにするのが条件や」

私「8月にグラハイでええか?」

夫「ええで」

夫「やっと妊活やな」

私「新婚旅行」

夫「ええで」

私「コロナ怖いなぁ。ワイ妊活する気分になれへん」

夫「約束と違う!!!!!」

私「まぁ…始めてみるやで…」

妊娠

 

というわけで1回目の妊娠は突然にやってきました。笑

覚悟は全く出来ていなかったはずなのにとても嬉しくて私はお母さんになるんだと妊娠検査薬を見て実感しました。まさか妊娠するなんて思ってなかったので心の底から驚きました。

そして、つわりが辛い日々が続きました。

私「あかん。1日に20回以上吐いとるやで。。妊娠ってこんなにキツイのか…これが最後の妊娠にするやで」

私「この子は一人っ子やで。人生で今が1番キツいやで。こんな思い二度としたくないで。(もう忘れて妊娠してるw)目の前暗くなってきたで…」

私「このままじゃ家で野垂れ死ぬで。点滴行くで!」

近くの内科の先生「これはつわりの中でも上位2%に入る酷いやつやで。ケトン体3+出続けてるし(何度か点滴に通ってました)さすがにこれは入院しないと危険やで。」

私「入院するで」

夫「気をつけるやで」

病院にて

産婦人科の先生「心拍確認しますね〜。うーん。動いてないですね。。」

この時点で8週5日でした。先生曰く8週3日あたりで心拍が止まってしまっているとの事でした。

泣きじゃくるまま、すぐに流産処置の日程決めをして自宅に帰りました。

とても悲しかったのですが、どうもその時の事が思い出せずにいます。どんなふうに夫に話してどう過ごしたか忘れてしまいました。

後日、生検に出し分かった事ですが流産の原因は「部分胞状奇胎」という事でした。

部分胞状奇胎を持つ母体はつわりの症状が強く出るという点も当てはまっていました。

※普通は内診で形が変?なようでもっと前に分かると不妊治療病院の医師からは言われましたので、つわりが強くても不安にならないでくださいね。

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部分胞状奇胎について

簡単に説明をすると、通常1つの卵子に1つの精子ですが、私の卵子の扉が1つ入った後閉じず、2つ迎え入れてしまい染色体異常となる現象です。

通常の染色体は46本ですが私は96本(?)の染色体を持つ胎児でした。完全に染色体異常なので、生まれてくることはできない胎児です。

特徴所見があるようで、通常もっと早く見つけてもらい掻爬術+もう一度手術をするべきだったようですが、産婦人科の先生がたまたま病気に詳しくなく放置されてしまい…。

その後かかった大学病院の先生から「何でもっと早く来なかったの?手術必要だったのにもう遅いよ。」と言われてしまい、2度目の手術が受けられませんでした。

その時は色々ショックで。。

自分の体の予後も良い話はされず、不安で一杯でした。

いきなり赤ちゃんを取り出すので(当たり前です)まだ体が母体のままで、ホルモンバランスもおかしく、街ゆく乳幼児の赤ちゃんを見て涙が溢れ、ベビーカーを引いてるお母さんが嫉ましく、そんな自分が惨めでなんて酷い人間なんだと自己嫌悪に陥り、2週間〜3週間くらいですかね。ホルモンバランスが落ち着くまで酷い状態でした。

今思うと全部ホルモンのせいだと思いますが、その頃は本気で辛かったです。

赤ちゃんを見るたび心を痛め、わたしには赤ちゃんがいない。と実感していました。

もうこうなりたくない。

絶対にもう戻りたくない。

そう思う分現在の妊娠が怖いですね。もう戻りたくないです(´._.`)

※現在5週1日ですが不妊治療の医師より胞状奇胎の所見はないと言われていて一安心です。心拍確認もまだですし、他の染色体異常かどうかはまだ分かりません。色々あったので先生がしばらく見てくださると言ってくれています。優しくて大好きすぎる。不妊治療病院の主治医(´;ω;`)泣

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部分胞状奇胎の原因(自己分析)

これは医師の診断ではなく、私の自己診断にはなりますが、私は元から生理不順できっと排卵も稀にしか起こってなく、その時の卵子の状態が悪かった事が原因かなと思っています。

健康な卵子であれば正常な働きをしますが、私は排卵障害だったのでこの時もそれが関係してるのではないか?と思っています。

なので第二子が欲しくなった時も必ず不妊治療病院へ通い、卵子の質を薬で整えてから行おうと思っています。(完全な自己判断なので色々違っている事も有ると思います)

流産後、夫婦喧嘩が絶えぬ日々

まぁそんなこんなでホルモンバランスが落ち着くと急に元の人間に戻ります。

夫「半年の経過観察終わったらすぐ妊活するやで」

私「気づいた。まだ自分の人生を生きたい。働かせてくださいやで!!!!!!赤ちゃんまだ欲しくないやで!!!!!!」

夫「断固反対やで。働く意味わからないで。」

私「コロナで収入も減って不安!貯金も少ない!(私へのプロポーズ・豪華な結婚式・マンション購入・新婚旅行)で貯金の大半消えていたw」

この頃いつコロナが落ち着くか分からず、不安に思っていました。今まで専業主婦だったり週1回仕事をしている扶養でしたが、もう一度会社の社保に入って頑張りたいと説得。

ここから大喧嘩の日々。

全くお互い分かり合えず、本当にキツかった。

結果双方の間をとり、職場の方にも認めてもらえて1年間会社の社保に入り頑張る事に。沢山お金稼いでバーキン買う!と言い出したのがこの頃(´-`).。oO笑

そんなこんなで、私も夫の長年の願いを必ず叶えてあげたいと思い、妊活をする前から不妊治療の病院へ通い、最善を尽くした状態で妊活をスタートさせたのでした。

妊活前に不妊治療始める、なかなか居ない患者で先生も戸惑っていましたw

この続きは妊活ブログに書き綴った事になりますので省略しますね。

続きを読みたい方は「妊活・不妊治療」のコーナーを最初から読んでみてください。色々ありました✧*。

最後に

また今回も流産してしまうかもしれませんが、前回乗り越えられたから絶対にまた乗り越えられると信じています(*゚ー゚*)

そして不妊治療は素晴らしく、また必ず授かることが出来ると確信しています。

自分を守る為、何かあっても傷つかない為、今回は流産しない!と前向きな言葉を紡ぐことがどうしても出来ません…(´._.`)

お腹の赤ちゃんにも申し訳ないな(´._.`)

夫は傷付くのが怖く、誰にもまだ言いたくないとの事なので夫の友人関係の方もし見てる方いたら夫から聞くまで待ってあげてください(^O^)

まぁでも何があっても今回妊娠できた事は第一歩だし、またもう一度頑張ればいい。胞状奇胎とか特殊な病気でなければ経過観察も必要なくすぐ再チャレンジ出来るしね。

私らしく、過ごしていきたいです。

こんな初期からブログで妊娠報告をすると決めたのも自分で、流産の経験を話すと決めたのも自分。

自分らしく、自分で選択し、生きていきたいです。

もうすぐワイヤー付けるよ❤︎この歯並びも最後‼︎

これからもどんなことがあっても乗り越えていきたいです^^

takako.

おわり。

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